教育哲学ショートショート 「神との対話」

 イトウ・マサシ氏はピアノで『平均律クラヴィーア』を弾くことができた。この曲は長く、神経をつかう。神経衰弱にならないようにイトウ・マサシ氏は小説を書くことにした。小説は一日三枚ときめていた。用紙はA4のプリンタの用紙。はじめのころはなかなかはかどることができなかったが、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読んだり、夏目漱石の『明暗』をよんでいくうちにイトウ・マサシ氏も小説を書きたくなったのだった。
 そのうち、イトウ・マサシ氏は東京の四ツ谷へ引っ越し下宿した。イトウ・マサシ氏は音大生だったが、『カラマーゾフの兄弟』を読んでから「存在論」に興味を持ち、セイントクルントゥルハイム大学入るために受験勉強をすることになった。
 3年後、イトウ・マサシ氏はセイントクルントゥルハイム大学の哲学科で「存在論」についての卒論を友人たちとシナリオ書くように集まって書いていった。本来ならば、ひとりでやらなければならないが、イトウ・マサシ氏は江戸っ子だったので義理と人情のチームワークで論文を書くことになった。
 その「存在論」はなかなかの出来だったが、用語が硬すぎてなかなか教授会で受理されることはなかった。仕方が無いのでともだちのイシカワ・トヨシコが難しいところを「はしょって」発表をしたら通ることができた。
 卒論がとおったのち、みなはロシア料理の店で哲学についての話でもり上がった。
無神論者は愚か者」
「神はほんとうに存在するのだろうか」
女性の学生のほうが男性の学生のほうよりも鋭い意見を出していた。
 みなが盛り上がっているなかで、イトウ・マサシ氏は淡々と小説をまるで音楽を作曲するように小説を書いていた。
「なに、書いているの」
イトウ・マサシ氏は顔を赤らめ、はにかみながら
おとぎばなし、のようなものを書いているんです」
「何年もつづくような話なんですか」
ウォトカを飲みしばらく溜息をついたイトウ・マサシ氏は
「そうなると善いんですが」
とぼそりとつぶやいた。