2011-02-01から1ヶ月間の記事一覧

『まわる神話構想ノート』より

私は『まわる神話』を書いていくにあたって京都で演劇の勉強をしていきたいと思う。そして、人体解剖図の美学、動く身体を描く技法について研究をすすめていきたい。そこには西田幾多郎のいう「純粋経験」や「意識の問題」が間接的に関わっていると思われる…

人の話を<聴く>ことについて

人の話を<聴く>ことはなかなかできることではない。叔父とはなしていてもどこふくそよかぜな<雰囲気>を少しでも相手に悟られてしまうと「おまえ、話きいてないだろ。話きいているつもりでも話した内容をやってないってことは話を聴いていないってことと…

京都と東京の哲学的思索

私はいろいろ考えた結果、祖母の第二番目の姉の家に下宿することにした。そこで執筆活動や作家との交流をとおしていきたい。哲学に関しては学習院大学で通信教育をうけながら論文の執筆をしていきたいと思う。東京にはいくつかのバレエ・スクールやロシア語…

アリストテレス視座から見た魂の運動表象への道

音楽について考えてみると、私はバイオリンに携わり落語にも趣味としてたずさわっています。このことは<意識の流れ>についてかんがえたフッサールの考えかたにもとづくと哲学の問題だけでなく、精神病理学の世界にも導入される考え方ではないでしょうか、 …

教育哲学ショートショート 「宇宙からきた人」

その男は宇宙から来た人だった。名をKと言った。Kは日本の東京の本屋でアルバイトをしながらカフカのように小説を書いていた。Kは日本語を話すことができない。地球での二千年がKには一分にしか感じられなかった。だんだん何を目的に<もの>を書いていった…

思索のてびき 『存在と時間』細谷貞雄訳 のメモ より

☆臨床哲学者+臨床心理士になる☆<聴く力>☆<身体知>☆<教育哲学>☆<語り> ・・・・・・『モモ』、『アンナ・カレーニナ』、『グリーン・ノウのこどもたち』☆『まわる神話構想ノート』☆『まわる神話』☆ジュブナイル小説 『クラシック・バレエへの道』☆戯…

『まわる神話構想ノート』より

哲学をとおして発達心理学を見つめるために私は私自身の半生を書きとめておきたい。私は小学生時代読書が好きな少年でときどき野球をやっている友人とバッティングの練習をしたり、外野のポジションを受け持ったりして野球をやっている友人と交流を深めてい…

『まわる神話構想ノート』より

ハイデガーの『存在と時間』を講義風に朗読する日々が続いている。ミヒャエル・エンデさんの『モモ』やトルストイの書いた寒いロシアの長編おとぎばなし『アンナ・カレーニナ』もまた朗読し続けている。今後、ドイツ語とフランス語とロシア語の強化をしてい…

『まわる神話構想ノート』より

西田哲学は文学の源泉になりえる文体を合わせ持っている。それは高い身体性を媒介にした文体であるためである。西田の言う「純粋経験」は心理学の分野でも充分に通じあう概念だとおもわれる。「絶対無」という神秘主義にも聞こえる日本古来の考え方を西田は…

おちつくまで待とう

おちつくまで待とう。私の病気は「おいそれ」と治るものではないが、もうすぐ治りのきざしがみえてきた。それはまわりの人たちの共同体の力のおかげです。みえないものの力と哲学の学問の道を一歩、一歩着実に歩いてきた道程なのかもしれません。 職に就くこ…

『まわる神話構想ノート』より

私は京都に行って発達心理学に哲学の考え方を導入していきたい。ヘーゲルの『精神現象学』やハイデガーの『有と時』は<存在への問い>という意味で<おこさまからおとしよりまで>の哲学に会っていると思われる。 発達心理学にはフロイトとユングの考え方を…

『まわる神話構想ノート』より

私は『ニコマコス倫理学』を源泉にしてハイデガーの『存在と時間』やおなじく辻村公一先生の訳した『有と時』と長谷川宏先生の訳した『精神現象学』を書き込みをしながら朗読することによって哲学を<噛み砕いて>説明することをクラシック・バレエや体操競…

深層心理学と精神医学 もっと楽しく

深層心理学といえばフロイトとユング。2人はとちゅうまでなかよしこよしだった。しかし、考え方の違いからはなれていってしまう。 フロイトの考え方は個人に根ざしている。 難しく、理解することには時間がかかる。 ユングは人間精神の全体を考察しているよ…

『まわる神話構想ノート』より

私は家族の長男で大きなプレッシャーをかかえている。そのためになかなか「本音」を吐露したり、共同体のなかに入ることができない苦しさをかかえている。 その苦しさは筆舌に尽くしがたい。美学をやっていきたいが、もっと体験を一歩一歩着実にやっていかな…

クラシック・バレエ『白鳥の湖』における芸術論的解釈

クラシック・バレエの演目において『白鳥の湖』はクラシック・バレエを実際に練習していない人々にとってもクラシック・バレエの代名詞と呼んでも過言ではないくらい有名な演目であるが、その演目の芸術性や観客が観て「いかに凄いのか」については語ること…

映画 「まあだだよ」を観て

沼津の映画館で「まあだだよ」と言う映画を観た。ドイツ語の先生は物書きでドイツ語以外のことも生徒にいろいろとおしえてくれる。どんどん年老いていく先生に対して、生徒があまり変わらないのは<先生の力>なのであろうか。ビールを大ジョッキでぐびぐび…

『ニコマコス倫理学』における「思慮深さ」について

探求することと思案をめぐらすことは違う。なぜなら、思案をめぐらすこととは或る特定のことを探求するからである。そこでわれわれは「思慮深さ」について、それが何であるか、すなわち、それは学問の一種であるのか、判断の一種であるのか、勘の良さの一種…

『まわる神話構想ノート』より

魂の問題を倫理学的な見方で考察することはとても難しい。なぜならば、魂は<眼にみえない>ものだからである。人と人のあいだにも魂は存在している。私は現象としてクラシック・バレエと体操競技を考察し、レポートにまとめブログに書いていきたいと考えて…

『クラシック・バレエへの道』 草稿1 

①『精神現象学』を体操競技とクラシック・バレエの<成長物語>として読む。②クラシック・バレエの古典(ロマンティック・バレエ)の心理学的解釈のためにユングの『心理学と錬金術』と西田幾多郎の『思索と体験』を青線をひきながら精読する。③『有と時』を…

『まわる神話構想ノート』より

私は木村敏先生と西田幾多郎の『思索と体験』を実践倫理としてクラシック・バレエや体操競技の美学として大成できるか否かを対話していきたい。そのことがクラシック・バレエ界や体操競技界に一石を投じるものであろうと信じている。また、私は臨床家として…

休学中にやること

① 『モモ』を朗読する。 ② 『存在と時間』を朗読する。 ③ ハムレットを朗読する。 ④ 『精神現象学』長谷川宏 ⑤ 訳と『ラカン入門』アンリ・エー著と『有と時』辻村公一訳かきこみ ⑥ 『グリーン・ノウの子どもたち』を朗読する。 ⑦ 『わざの伝承』金子明友著…

『まわる神話ノート』より

クラシック・バレエにおいて、体操競技との共通点を<深く>さぐることは難しいことである。私は京都においてバレエを観照した体験がある。生まれて初めてのクラシック・バレエの観照は私の魂に<深く>刻み込まれた。そのときの演目は『くるみ割り人形』で…

教育哲学ショートショート 『時と春を求めて』

ユイ氏は時を失った。その時とやらはどこにあるのか、と街をとことこと歩いていった。ユイ氏にはまだ春がきていない。ユイ氏は本を朗読する仕事に就くことにした。その仕事は街で話題となり、世界中の人々がユイ氏の朗読を聴きに本屋さんや図書館へ訪れたと…

ヘーゲル 人相術の考察 その一

自己意識が自分の直接的な現実に対してもつ関係の観察、人相術と頭蓋論について における断片的な諸考察(金子武蔵による訳者注そのニより) 観察する理性は概念をもとめるが、これは対立するがままに一であるところに成立するものである。しかし自然の観察…

『まわる神話構想ノート』より

私は体操競技とクラシック・バレエとバイオリンのすべてにおいて<意識の流れ>について音楽と関係づけて考察していくことにする。ヴィクトーア・フォン・ヴァイツゼッカー著書『ゲシュタルトクライス』の<運動メロディー>という概念は3つの行為において…

『まわる神話構想ノート』より

私は何人かの火星人に出会ったことがある。その火星人は4人である。そのうちの3人は世間では「哲学者」という名で呼ばれ、そのなかの1人は医師をやったあとに「哲学者」となった。「哲学者」は地球にいる人間ではないので、地球にいる人間とはまったく異…

『まわる神話構想ノート』より

私は『有と時』の存在と時間による謎をミヒャエル・エンデの『モモ』を「物語る」ことによって、一歩一歩着実にひもといていきたい。そして、ユングの著した『アイオーン』や『心理学的類型』を私なりに解釈し、『まわる神話』のエッセンスとして取り入れて…

『まわる神話構想ノート』より

身体の<わざの伝承>は様々な場面で行われている。私はクラシック・バレエおよび体操競技にポイントを絞って美学および医学として大成していきたい。<コツ>や<カン>などについては日本の運動理論の大家である金子明友先生がライフ・ワークとして古今東…