2011-02-01から1ヶ月間の記事一覧

『まわる神話構想ノート』より

私は文章を書くことに自信をもっていない。そして、何を書いたら善いのかもわからないまま時をすごしている。しかし、<意識の流れThe Stream of Consciousness>の文学の文学を読むことによって自己の記憶からエッセイのようなものを書こうと考えている。<…

『まわる神話構想ノート』より

私は複雑な本の著者に<乗り移って>文章を書いている。そして本の読み方は書き込みをしながら何度も繰り返し読むことにしている。ひとつの本を何度も読むと別の本を読んだ時に視点がもうすでにあたえられている。書くことは苦悩をともなう。いつこの<書く…

『まわる神話構想ノート』より

私は理性の法則に基づいて論理学を学ぶことにする。そこには対旋律がみられるだろうし、コンピュータのなかのアルゴリズムのようなものがみられるかもしれない。どちらにしろ主体的に行動していこう。クラシック・バレエのpasは一種のコードであるが、またそ…

『まわる神話構想ノート』より

私は深夜になると古典ギリシア語、ドイツ語を独学している。はたして正しいのかはわからない。昼間は神話を書くために街を歩いて他者の<声>を聴いている。その<声>が<書く>という行為の源泉になっているのかもしれない。自己を≪禅の世界≫へと落とし込…

教育哲学ショートショート 「りんごの樹」

ミヤハラ氏はバレエに興味があり、バレエの人体の動きをスケッチする仕事をしていた。絵画のような美しさを持ったミヤハラ氏のスケッチは学校に貼られるようになった。黒板ばかり見ていた学校の生徒たちは休み時間にそのスケッチを見つめるようになった。 そ…

教育哲学ショートショート 「心理のなかに」

シマダ氏はゲーム理論とフロイト理論を結合することに成功した。ヤマト氏はシマダ氏の友人でゲーム理論の本に書き込みをして独学で音楽理論を構築していった。なぜならば、シマダ氏は精神が不安定なところがあったためだ。 しかし、シマダ氏は美しい恋愛小説…

『まわる神話ノート』より

私は沼津のピアノ教室やブック・オフで学んでいこうと考えている。東京にいくための糧になるだろう。経験の意味を考えてみるとそれは内部知覚と内部感覚に区別される。そしてそれは心的現象になる。これは心理学の基礎となる経験であって哲学的立場と対立す…

沼津での修練

私は沼津でピアノショップ沼津においてピアノと江川バレエアートスクールにおいてクラシック・バレエの修練をしたあとにデスクトップのパソコンで本格的な小説を『小説新潮』に連載していこうとかんがえている。ピアノを行うことは子どもの発達心理学に大き…

教育哲学ショートショート 「時間をめぐる」

ヤマダ氏は量子テレポーテーションを開発した。なぜならば、うつ病の新薬を開発したかったためである。ヤマダ氏時間の感覚がなく時計をしていない。ヤマダ氏の机には壊れた腕時計がひっそりと主人をまっていた。ヤマダ氏が帰宅する時間はおどろくほどおそい…

沼津で読書会

私は沼津のマルサン書店でアルバイト(哲学書のポップを書く)しようと考えている。そして近くにあるピアノショップ沼津でピアノの稽古や江川バレエ・スクールで東京にいくまえに修練をつみかさねていきたいとかんがえている。そのうち『ニコマコス倫理学』…

生命の神秘の錬金術から考察するクラシック・バレエの存在論 Ⅰ

生命の神秘の錬金術から考察するクラシック・バレエの存在論 マンダラ32 夢 夢見者はある見知らぬ女性から一通の手紙を受け取る。彼女は子宮(uterus)に痛みが感じられるとかいている・・・・・・省略・・・・・・ 原生林には猿が沢山いる。 「アニマ」が…

『まわる神話構想ノート』より

<物語り>や<おとぎばなし>をつむぎだすとき、私は何が<物語り>で何が<おとぎばなし>であるのかわからない。長編小説が<物語り>であるのか、あるいは絵本や寓話が<おとぎばなし>であるように思われるが、ファンタジーの<物語り>となると少し違…

大河小説「医師と哲学者」Ⅳ

みなが黙々と受験勉強に取り組み教室中ではシャープ・ペンシルの音だけが響いていた。大谷氏はぞっとした。仕方なく予定通りに授業を進めることになったが、教室にいる生徒たちはそれぞれ受験勉強のための<内職>に取り掛かっていた。大谷氏は良心の呵責を…

『明暗』と聖書

私は『明暗』を読んでいるときに京都風にアレンジして書きなおしてみたいと感じた。津田の<生きざま>や<生々しい>病院や人物の描写は聖書における人物の描写に限りなく近いとおもったのである。人間のいやらしい部分ときれいな部分が漱石によって未完の…

『エクリ』ジャック・ラカンからみる無意識の演技論

ジャック・ラカンはフロイトの文献を丁寧にひもときフランスの世界に導入した立役者であり精神分析家である。ラカンの著作である『エクリ』には演技にかんする興味深い記述がみられる。筆者はハイデガーの『有と時』と比較しながら演技の在り方を模索してい…

大河小説 医師と哲学者 Ⅲ

大谷氏は元来、「怠け者」だった。朝起きることができないのだ。その理由は毎日、夜にコーヒーを飲んでしまうためだ。そのほか大谷氏は人体解剖図を夜中に見る変な趣味があった。特に大谷氏は神経が細かったので神経系が細かく描かれた人体解剖図を見ること…

『まわる神話構想ノート』より

私は小学校のころ友人といっしょにピストルのおもちゃを集めて遊んだことがある。その盛り上がりぶりはカーニバルのようであった。夏になるとピストルのおもちゃから水ふうせんとなり水ふうせんに水をいれて輪ゴムをつけて投げ合って遊んだ。 その遊びは子ど…

西田哲学の朗読の意義

西田哲学は得意な哲学である。西田幾多郎は坐禅を通した身体感覚で哲学的なエッセイや論文を書いていった。その文体は夏目漱石や太宰治に限りなく近いのかもしれない。『善の研究』はカント哲学やヘーゲル哲学を西田幾多郎が自ら咀嚼しウィリアム・ジェイム…

大河小説 「医師と哲学者」 Ⅱ

大谷氏は旅をしていてもショートショートや小説を書きながら思索を続けていた。一時期ドイツの哲学書の原書をひもといて精神科医になろうとしたが指導教官と<気>が合いすぎて医局をとびだしてしまった。精神科の医局では哲学者で有る必要はないためだ。大…

『まわる神話構想ノート』より

「無」から「有」を生みだす営みは想像以上に人間の理性を必要とするが、私には理性が少ない。そのためにショートショートを書いたとしても「おとぎばなし」にならないのである。夜、眠れない時にまとまった考えが思いつくとノートに書きつけているが意味の…

教育哲学ショートショート 「ぶどうジュース」

K氏はぶどうジュースを飲んでいた。K氏の日課は会社での早朝の英語勉強会に参加することだった。しかし、K氏は英語が嫌いだった。教育学を学び大学院で修士課程まで進んだにも関わらず、自他ともに認める“英語嫌い”であった。 K氏の勤務している会社では本屋…

パンを食べよう

叔父といっしょに沼津のフランス料理屋でパンを食べに行きたい。これからのことを深く話しあっていきたい。数学の恩師夫妻とも話し合いたい。ひとつひとつのことがパズルのようにバラバラになって統一することがむずかしい。それでも『ニコマコス倫理学』は…

大河小説「医師と哲学者」 Ⅰ

大谷氏は大学で「男爵」というあだ名をつけられていた。そのことは大谷氏にとってはあまりうれしくないことだった。大谷氏は大学から小説を書くことを命じられて沼津に「ひきこもり生活」をすることになった。大学における勉強はいっさいせずに哲学書や小説…

『まわる神話構想ノート』より

私は<物語り>をあつめている。なぜならば私が<物語り>を書いていきたいためである。普遍的な<物語り>いいかえるならば<おとぎばなし>として『まわる神話』および『教育哲学ショートショート』を書き続けていきたい。固有名詞を使わないで書かなけれ…

教育哲学ショートショート hutari

雪の日に貨物列車にのったふたりのおとめはクラシック・バレエをやっていた。「さむいかい」「ええとっても」がたがたと揺れる電車のなかは込み合っており外套からは湯気がたっていた。声をかけた男は体操競技をやっているらしく、腕の筋肉が善く発達してい…

教育哲学ショートショート  「ふたりの舞踊家」

R子とG子はともにクラシック・バレエをやっていた冬の国から汽車でやってきたらしい。黒いオーバーを2人ともまとっていた。R子は右手に万年筆、左手に聖書を持って、揺れ動く汽車のなかに聖書に書き込みをしていた。R子とG子はともに姉妹であり、G子はもう…

ニコライ堂の思い出

私は東京のニコライ堂(東京復活大聖堂)にいったことがある。ドストエフスキーもかつては訪れたことがあるらしく。東方正教会すなわちギリシア正教の区分になっている。ロシアの土着の究極的パワーの集大成というべきニコライ堂は建築術の最高峰なのかもし…

ヘーゲルの<平均的日常性>な入院生活者

私は京都のとある哲学科に籍をおいている。精神科医からはバウムテストで「やや統合失調症」と診断されてしまった。「<実のなる樹>を描いてください」と言われたのにまわりにユダヤ教の象徴とか教会とか机とかわけのわからないものを描いてしまったのでよ…

『まわる神話構想ノート』より

私はクラシック・バレエの古典作品をハイデガーの『有と時』やC.Gユングの『心理学と錬金術』や『アイオーン』などの心理学の著作によって「魂の古典解釈」をおこなっていきたい。また、ロシアの魂はドストエフスキーやトルストイのなかに秘められている。私…

『まわる神話構想ノート』より

ドストエフスキーの作品とトルストイの作品を同時進行で読む試みをおこなっている。ドストエフスキーは『白痴』と『悪霊』、トルストイの作品では『アンナ・カレーニナ』である。今回の読解ではところどころ表現や人物などに線を引き、解釈学的によみといて…