2011-02-18から1日間の記事一覧

『まわる神話構想ノート』より

ドストエフスキーの作品とトルストイの作品を同時進行で読む試みをおこなっている。ドストエフスキーは『白痴』と『悪霊』、トルストイの作品では『アンナ・カレーニナ』である。今回の読解ではところどころ表現や人物などに線を引き、解釈学的によみといて…

『まわる神話構想ノート』より

私は『まわる神話』を書いていくにあたって京都で演劇の勉強をしていきたいと思う。そして、人体解剖図の美学、動く身体を描く技法について研究をすすめていきたい。そこには西田幾多郎のいう「純粋経験」や「意識の問題」が間接的に関わっていると思われる…

人の話を<聴く>ことについて

人の話を<聴く>ことはなかなかできることではない。叔父とはなしていてもどこふくそよかぜな<雰囲気>を少しでも相手に悟られてしまうと「おまえ、話きいてないだろ。話きいているつもりでも話した内容をやってないってことは話を聴いていないってことと…

京都と東京の哲学的思索

私はいろいろ考えた結果、祖母の第二番目の姉の家に下宿することにした。そこで執筆活動や作家との交流をとおしていきたい。哲学に関しては学習院大学で通信教育をうけながら論文の執筆をしていきたいと思う。東京にはいくつかのバレエ・スクールやロシア語…

アリストテレス視座から見た魂の運動表象への道

音楽について考えてみると、私はバイオリンに携わり落語にも趣味としてたずさわっています。このことは<意識の流れ>についてかんがえたフッサールの考えかたにもとづくと哲学の問題だけでなく、精神病理学の世界にも導入される考え方ではないでしょうか、 …