教育哲学ショートショート「トマス氏の小説」
トマス氏は小説を書いていた。その小説はハリス氏と一緒に読むことになった。トマス氏の小説はファンタジーで幻想的なものだった。
ハリス氏もまた小説をかいていた。ハリス氏が書く小説は純文学のものだった。ハリス氏はトマス氏から刺激をうけて、ハリス氏はトマス氏から刺激をうけて小説を書いていた。
トマス氏は大阪に行き、奇術師に会ってもっと小説を書けるようにお願いをした。すると不思議なことに雑誌に小説をのせることができるようになった。それまでの小説は未発表のもので読者がハリス氏しかいなかったのである。しばらくすると世界中の人々がトマス氏の小説を読むようになった。
トマス氏の小説がみなに読まれると、ハリス氏の小説もまたよまれるようになった。
教育哲学ショートショート 「神との対話」
イトウ・マサシ氏はピアノで『平均律クラヴィーア』を弾くことができた。この曲は長く、神経をつかう。神経衰弱にならないようにイトウ・マサシ氏は小説を書くことにした。小説は一日三枚ときめていた。用紙はA4のプリンタの用紙。はじめのころはなかなかはかどることができなかったが、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読んだり、夏目漱石の『明暗』をよんでいくうちにイトウ・マサシ氏も小説を書きたくなったのだった。
そのうち、イトウ・マサシ氏は東京の四ツ谷へ引っ越し下宿した。イトウ・マサシ氏は音大生だったが、『カラマーゾフの兄弟』を読んでから「存在論」に興味を持ち、セイントクルントゥルハイム大学入るために受験勉強をすることになった。
3年後、イトウ・マサシ氏はセイントクルントゥルハイム大学の哲学科で「存在論」についての卒論を友人たちとシナリオ書くように集まって書いていった。本来ならば、ひとりでやらなければならないが、イトウ・マサシ氏は江戸っ子だったので義理と人情のチームワークで論文を書くことになった。
その「存在論」はなかなかの出来だったが、用語が硬すぎてなかなか教授会で受理されることはなかった。仕方が無いのでともだちのイシカワ・トヨシコが難しいところを「はしょって」発表をしたら通ることができた。
卒論がとおったのち、みなはロシア料理の店で哲学についての話でもり上がった。
「無神論者は愚か者」
「神はほんとうに存在するのだろうか」
女性の学生のほうが男性の学生のほうよりも鋭い意見を出していた。
みなが盛り上がっているなかで、イトウ・マサシ氏は淡々と小説をまるで音楽を作曲するように小説を書いていた。
「なに、書いているの」
イトウ・マサシ氏は顔を赤らめ、はにかみながら
「おとぎばなし、のようなものを書いているんです」
「何年もつづくような話なんですか」
ウォトカを飲みしばらく溜息をついたイトウ・マサシ氏は
「そうなると善いんですが」
とぼそりとつぶやいた。
『有と時』の噛み砕きにくさ〜それが好き
私はハイデガーの思索の結晶である『有と時』を青線をひきながら丹念によんでいる。大学の先生に辻村公一さんは漢文の素養があったからね、と笑顔でいわれて「況や」とか大量の漢語がドイツ語から翻訳されて、凝縮さらた書になっており、仏教の経典にちかい体裁をとっている。私は大切な本にはかならず青のインクの万年筆でかきこみをしながらよみ、あとでよみかえすときにはそれらをまとめることがある。『有と時』もまた書き込みがされてある。
☆ストリーテング
☆上智大学
☆大谷大学
☆アテネ・フランセ→東京の親戚の家に下宿
a)『まわる神話構想ノート』
↓
『まわる神話』
b)『医師と哲学者』
c)教育哲学ショートショート
d)『クラシック・バレエへの道』
e)『京都学派シンフォニィ』
☆作家になる―シナリオライター
『まわる神話構想ノート』より
私は今・ここという瞬間にをたいせつにして仲間どうしのつきあいをたいせつにしていきたいとおもう。そのことが倫理思想になるとおもう。ここのところ力が落ちてきた。仲間との交流をによって<物語り>をつむいでいきたいと思う。
「ヨハネの黙示録より」
1:イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにもおこるはずのことを、神がおあたえになり、そして、キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの言葉とイエス・キリストの証し、すなわち自分のみたことのないことを証しした。この預言の言葉を朗読する人とこれを聞いて、中に記されたことをまもる人たちは幸いである。
ヨハネからアジア州にある七つの教会へ。今におられ、かつておられ、やがて来られる方から、また、玉座のまえにおられる七つの霊から、更に、証人、誠実な方、死者のなかから最初に復活した方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストから恵みと平和があなたがたにあるように。
わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方に、私たちを主としてくださった方に栄光と力が世々かぎりなくありますように アーメン
☆『新約聖書』の書き込みより
☆京都
☆ノートルダム女子大、大谷大学、京都大学、
☆無―西田哲学、田邊哲学
☆聖書解釈学†『カラマーゾフの兄弟』ドストエフスキー、『アンナ・カレーニナ』トルストイ
☆ブレンターノ†フッサール†マックス・シェーラー†ハイデガー†ヘーゲル†カント
加藤澤男先生
冨田洋之先生 † 内村航平君
金子明友先生
☆マルセル・プルースト
☆神谷美恵子
☆吉行淳之介―音読 介護の文学
☆カフカ
☆ブラック・ジャック
☆上智大学―学習院大学
☆ニコライ堂で洗礼を受ける(http://www.orthodoxjapan.jp/annai/t-tokyo.html)
☆蘆田ひろみ先生と交流と対話
☆『有と時』を英語に翻訳する
☆聖書解釈学のように『善の研究』をよむ
☆はいだしょうこさんと交流
心理学と「まわる神話」物語り解釈つづき
ルランドゥスはこう書いている「想像」<イグナティオ>とは「人間の内なる星辰すなわち天体ないし超天体である」この驚くべき定義は「作業」<オプス>に随伴する空想<ファンタジー>過程に、まったく常識を超えた、独自の照明をあてる。つまりわれわれは空想像<ファンタジー>というと、つい実態のない妄想のようなものをかんがえがちであるが、「作業」<オプス>に随伴する空想過程の場合は決してそのようなものとうけとってはならず、体(corps)をそなえたもの、すなわち半ば霊的性質の一種の霊妙体と考えなければならないのである。経験的な心に関する心理学がまだ存在しなかった時代には、心的事象を有体と見るこのような具象化は必然の成行きであった。というのも無意識的なものはすべて、それが何らかの活動を起こせば必ず物的なものに投影されたからである。
つまり無意識は内からではなく、物的なものを通して外から人間に歩み寄ってきたからである。無意識はいわば、未開人の心理にもよく見られるような精神と自然の間の子、すなわち一種の具象物であった。そういうわけで「想像」<イマギナチオ>もまた自然行為の一つとして物質的諸変換化として位置しており、物質の変化から影響を及ぼすとともに、逆に物質の変化から影響をこうむるのである。
錬金術はこのような形で単に無意識と関係を持っただけでなく、物質とも、それも直に関係をもったのであって、彼らは「想像」<イマナギナィオ>によって物質を変化させたいという希望があったのだった。
『心理学と錬金術』Ⅱ 錬金術における救済表象 p68〜69
物語り解釈として『指輪物語』の冒頭を解釈してみる。
序章
一 ホビットについて
ホビット族はきわめて表にでたがらない、さりながらかれらはなはなだ古い種族で、以前は人数も今日とくらべものにならないくらい実に多かった。 というのも、平和と静けさとよく耕された大地を愛する種族だかである。整地よく、耕作よき田園こそ、かれらのこのむ棲家だった。かれらは道具のあつかいかたがうまいくせに、今も昔も、炉とふいご、
水車、または手織りばたの類より複雑な機械はわからず、あるいは好まなかった。古代にあってすら、ホビット族は一般に、かれらがいうわれわれ人間族の通称「おおきいひとたち」をうとんじていたのだが、今日ではわれわれのすがたをみると怖れあわててさけるので、かれらを発見することはむずかしくなってきている。かれらは耳ざとく、目が利き、大体がふとるたちでいざとなったらけっしてあわてないくせに、動作はす早く機敏である。かれらは、自分たちが会いたくない人物たちが会いたくないとおもっていると音もなく速やかに姿を消す技術を最初から所有していたのだが、だんだんそれを発展させ、ついには、人間には魔法と見える域にまでひきあげた。しかしホビット族は未だかつて、いかなる種類の魔法も習得したことがなかった。かれらの穏身は、ほかでもない、遺伝と修練と大地との親交の結果、もっとも不器用な種族には真似できないものとなった特殊技能のせいである。
ホビット族は我が家の一族と全く同類である。わたしは指輪物語をしっかりよんでみてホビットがこれほどまで我が家の一族と酷似していたことにおどろいた。
≪かれらの穏身は、ほかでもない、遺伝と修練と大地との親交の結果、もっとも不器用な種族には真似できないものとなった特殊技能のせいである≫
とはおそらくは体操競技のことであろう。スポーツ運動学の発展が現在著しいが、私は病気療養中で半年間はアウンサン・スーチーさんのように沼津で軟禁とラカンの即興演技術の思想統制をおこなわれている。
≪自分たちが会いたくない人物たちが会いたくないとおもっていると音もなく速やかに姿を消す技術を最初から所有していたのだが、だんだんそれを発展させ、ついには、人間には魔法と見える域にまでひきあげた≫
叔父もその魔法を駆使することができる。
私は大学の先生に「魔法使いの弟子入り」をしたがいまだに「魔法」をつかって沼津でなにかをおこしたことがない。そのうちに
≪もっとも不器用な種族には真似できないものとなった特殊技能≫である「体操競技」というものに挑戦することで、
私のうしなわれた時をもとめていくことになるとおもわれる。
実際に「体操競技」に向かうとすれば親戚のいる沼津中央高等学校か静岡学園となるとおもわれる。それがすんだあと矢田部英正氏と東京でコンタクトをとって身体の形成知や「こどもの精神発達に身体の立ち振る舞いはどのように影響をおよぼすか」に焦点をしぼって対話していきたい。