生命の神秘の錬金術から考察するクラシック・バレエの存在論 Ⅰ

生命の神秘の錬金術から考察するクラシック・バレエ存在論
マンダラ32 夢
 夢見者はある見知らぬ女性から一通の手紙を受け取る。彼女は子宮(uterus)に痛みが感じられるとかいている・・・・・・省略・・・・・・
原生林には猿が沢山いる。
 
 「アニマ」が生命を創造する「中心」の苦痛に充ちた過程を告げしらせる仲介役を果たしている。生命を創造する「中心」はここではもはや生命の塊の入った「グラス」ではなく「子宮」とよばれる中心点であり、図形の螺旋が暗示しているようにこの中心点に達するには「周回」によらねばならない。いずれにしても螺旋は中心の黒点を従って子宮を強調している。子宮は錬金術の容器の象徴として頻繁にもちいられているもので、これは子宮が東洋のマンダラの根本的意味を表示していることと共通性を有している。螺旋の右側に描かれている矢印つきの蛇行線もまた容器に通じているわけであるが、この点は医神アスクレピオスの霊験あらたかなる蛇(Helischlange)とのアナロジーをなしている。と同時に、タントラ仏教のシヴァ・ビンドゥ(Shiva bindu)なる象徴ともアナロジーをなしている。シヴァ・ビンドゥは潜在的な、空間的広がりを持たない創造の神であるが、点あるいは(lingga[男根])の形態をとり、それにクンダリニーの蛇が三周半巻きついている。本章のマンダラ夢16と18および第二章の22の夢では原生林に棲む猿が登場した。そして第ニ章の22の夢の場合それは「すべてを支配する光」にマンダラ18の場合は「神々しく輝く頭部」に通じていた。この夢でもそれと同じように最後のところで真白い「氷河」への眺望が開ける。「氷河」ということから夢見者はこれ以前に見たある夢(本書では取りあげない)を想い出したが、それは夢見者が銀河を見て不滅にについて対話を行うという内容である。つまり「氷河」という象徴は、再び宇宙的様相へと、かつて退行のきっかけとなったあの様相へと導く架橋なのである。しかし、これは必ずしもそうだと言って構わないが、以前のものは最初の単純な現れ方そのままにただ繰り返されるというわけではなく、そこに新たな紛糾材料が加わるのであって、この夢の場合もその例にもれない。ここに見られる新たな紛糾材料は論理的に言えばすでに前もって予感されていたものであるとはいえ、知的意識にとっては宇宙的様相に負けず劣らず不快なものである。不滅に関する対話を想い出したということ、新たな紛糾材料とはこれである。不滅というテーマはマンダラ9で振子時計、一種の永久運動を示すあの振子時計が出てきた時にすでに暗示されていた。不滅とは停止することのない時計、天体のように永久に運行〔回転〕するマンダラにほかならない。
『心理学と錬金術』p240~241
生命の誕生は正に神秘であり、それに象徴される夢もまた神秘的な様相に充ちている。

無意識→自我意識→夢 ○顕在的内容 ○潜在的内容
無意識→芸術家→芸術作品 ○顕在的内容 ○潜在的内容

一方で、夢見のモデルとなっているのは、芸術家の創作活動(クラシック・バレエ)であるが、他方で芸術家の創作活動(クラシック・バレエ)は、夢見のモデルによって説明され、そこに無意識の活動が見いだされている。
ユングにおける心と体験世界』p80 〔図2-2〕より

 クラシック・バレエにおける男女の交わりは創作活動の源であり、すべての演目がそうだとはいえないが深奥幽玄な生命の神秘を暗喩している。
それでは男女の交わりは人間の本能であるのかユングは説明します。
 
本能が個体や種がしばしば繰り返す一種の意志行為から生まれたという本能の学習説が問題になることもあるが実にイトランガ(糸蘭蛾)は各個体が一生になしえない行動を種が繰り返しているのである。ユングはこのような注目すべきイトランガの生殖本能の例を挙げて必ずしも個体の学習では説明がつかないことを指摘する。彼は以下のように述べている
「糸蘭の花はどれも一晩しかひらかない。その花のひとつからこの蛾は花粉をとってひとつの球をこねあげる。それから第二の花を探し出して、その子房をたちわると自分の卵をこの植物の卵細胞のあいだへおき、花粉の球をその漏斗状の穴へ詰める。この複雑な行動を蛾は一生に一度だけ遂行する」

クラシック・バレエにおける神話解釈のてびき

   集合的心=一なる世界
    ↓    ↑
  文化共同体の心=その体験世界
    ↓    ↑
語られた信念=物語行為=テクスト化
    ↓    ↑
語りにおける物語的神話聖序行為における
理解=解釈行為→研究報告
    ↓    ↑
研究者の心=研究者の体験世界
    ↓    ↑
集合的心=一なる世界 

より厳密な言葉遣いをすれば、体験主体は自らの体験という意識内容を言語化するのであり、その言語化された意識内容を研究者が検討して、体験主体における無意識の働きを推定するのである。したがって、研究者は一次的には、体験者の表現としての言表を解釈することになる。(p276) 
クラシック・バレエの物語世界を神話解釈するばあい、文献で調べて物語りを収集して神話とみなしそれを解釈者が解釈し解釈者が表現していく場合と実際に踊りをおどっている踊り手の心情を「聴きとり」解釈者が物語の解釈に加えていくという場合と両者折衷型をとる場合がある。身体をとおして<物語られる>場合以下の工程が無意識的におこなわれる場合がある。

現実世界→身体―本能→類心元型→無意識―自我意識→現実世界
<心身の基盤> <類心元型において媒介された心と身体> <体験の対象>
        「本能」<生理学的領域>
              ↓
        「精神」<心理学的領域>
  ここでは心の現象学を図式化したものなのでバレエの名手神話がかたられているものを具体例にしハイデガー存在論における現象学の規定より「明るみ」にされるものについての考察をすすめていきたい。
(続く)