「医師と哲学者」

大谷氏はほとんど中田氏の事件を片付けたあとにミッション・スクールでふたたび英語の授業をおこなうことになった。大谷氏は洗礼をうけていないにもかかわらず、日曜日に教会に行って祈りをささげていた。そのうちミッション・スクールの生徒からは、
「ビショップ」
というあだ名でよばれるようになった。大谷氏は授業がおわると机に向かって寓話を書いていった。書いても、書いても大谷氏は納得のいく作品をかくことができなかったので毎日、筆をもてあましていた。こればかりは考えてどうするかの問題ではない。大谷氏は長編小説に挑むことにした。