書物は書物のためならず。 〜街角で哲学〜

 
 私は時間があると哲学書を紐解いてまわりの「声」や様子を理性にもとづいて観察することが趣味である。演劇や小説執筆に関心があるので人間観察については鋭い眼差しを持つようになってしまった。
 
 それにつけくわえて、バイオリンをならっているために音楽的に「声」を<聴く>ことができるようになったので善かった。バイオリンをならっているので人の話を<聴く>ことができるようになったのか、あるいは哲学書を注意深く読んでいるために人の話を<聴く>ことができるようになったのかは私の魂のなかでもさだかではない。
 
 もともと、口下手で巧みな話術でとうとうと語るよりもむしろ人の聴き役にまわることのほうが圧倒的に多かったためだと思われる。あまりため込むと欲求不満におちいることは善く知られている。そのためにブログという媒体をとおして考えていることを綴ることを思いついた。

 学閥や古いアカデミズムにとらわれがちな哲学の領域は善くないことは恩師からつねづね聴かされてきた。おそらく歯がゆい思いや理不尽なことを恩師自身も痛いほど経験したためそう教えてくれるのであろう。

 若い書き手の台頭はこれからどんどんのぞまれることであるべきだと思われる。文壇もそのことをのぞんでいるにちがいない。かなり昔、私も新潮社に小説を書いて応募しようとおもいついたことがある。その小説は体操競技の物語で叔父と叔父の恩師を掛け合わせたキャラクターが主人公。私の理想世界を描いたものだった。そのときドストエフスキーの作品群を耽読していたために難しいいいまわしや、学閥やアカデミズムに対する挑戦状的な小説といえた。そのころは私と同世代の小説家さんたちが文壇にデビューしてようやく文壇の堅苦しさに新風がまきおこってきた時代でもあった。

 その時代にのろうとおもったので書いてみたが、叔父にストップ・コールがかかって超大作をゴミ箱に捨てた。そのときに審査委員をつとめていたのが江國香織さんだったので、わたしは江國香織さんにはおくればせながら恩義を感じるようになった。

 <ものを書くこと>や<人と人との間柄>を考えるようになって私のなかで「家族の在り方」が大きく占めるようになってきた。私は高校生の時に父を亡くしている。そして現在、祖母は元気に働きながら、認知症にかかっている。妹は数学が得意で獣医をめざして勉学に励んでいる。母は私や母のことをかなり心配しながらどこか抜けたところがある。叔父は中学にバイリンガル・スクールという私が英語嫌いなのをを「どこ吹くそよ風」で毎日を忙しくおくっている。

 私自身はうつ病を「だまくらかしながら」適当に雑文を書き散らしたり、世界の文学書を紐解いたり、日本の文学書を紐解いたり、哲学書をひもといたりしながら毎日を茫漠とした気持ちで送っている。

 こういうようなことをぽつり、ぽつりと小説やブログ、脚本を書きながら哲学を身近なものにしていきたいという願いがある。その根底にあるのは人と人が争うことを眼の前にするのがいやな自分がいたからである。我が家は東北の血が濃く、そして母は江戸の下町の大森うまれなために口喧嘩をすると祖母も母も一歩もひかない。その様子は『血と骨』やドストエフスキーの『白痴』や『悪霊』の口喧嘩の場面とまったく同じである。

 ドストエフスキーの作品はダイヤモンドの輝きをはなっているが、希少価値なために広がりのある人間関係学を考察することは不向きであると最近感じるようになった。そのためにトルストイ文学、『戦争と平和』や『復活』などの朗読を通してひろがりのある人間関係学や教育哲学を考察することにした。

 亡き父には生前、「先生とよばれる職業だけはつくな」と口を酸っぱくしていわれつづけてきたが、作家も教育関係もカウンセラーも「先生」とよばれる職業なのでとまどっている。