教育哲学ショートショート  「天国に一番近い舞踊家」

 彼女は週三回大都会のすこしはずれでバレエ教室をひらいていた。ある日、世界的なバレリーナが彼女のバレエ団にやって来た。世界的なバレリーナであるSは「いる」だけで華があった。爪先から指先まで神経のゆきとどいたなだらかな動きは物静かではあるが、生き生きとしたものだった。
 
 たとえ、空中に爪先がはなれていても美しいカーブを足の甲に描いており「きまって」いた。Sの舞いは写真に撮ることができなかった。シャッター・チャンスが無限にあらわれるのでSの動きをきりとることができなかったのだ。
 
 彼女は「白鳥の湖」でオディールをやることになっていた。リハーサルが終わり、彼女の足はがくがくと震えだした。すると、Sがとことことやってきて、すっと手をさすり、無口のまま立ち去っていった。ようやく出番が来たようだ。彼女は彼女のもてるかぎりの「舞い」を魅せた。
 
 つぎの日、彼女は目を覚ました。そこは彼女の寝室だった。
「夢だったのか」
枕のライトの下には「白鳥の湖」のパンフレットがおいてあった。いそいでパンフレットの中身をみるとSとは違う同じ団員の写真の名前が映っていた。
どうしてだろうか・・・・・・と
彼女の頭の中をぐるぐるとまわった。
「つかれていたのか」
彼女は団長にメールした。
「寝不足?」
そういうこともあるのか、彼女は立ち直りだけは早かった。
「今日も稽古があるんだ。急がないと」
彼女は桃色のバックにデコったケータイをつけてハムサンドを口にくわえたままバレエ教室の鍵を開けて掃除をはじめた。
 彼女は掃除とバレエが好きでたまらなかった。そのために婚期をのがしている。
 今日は3歳のクラスのレッスンだった。いつもの光景だった。
  

「あんた、こども嫌いでしょ〜。どうしたってそんな仕事やるのさ」
と母が怒ると
「好きな仕事をやるにはこれしかないのよ」
と家の使わなくなった物置を改築してバレエ教室をひらくことになった。
レッスンバーや足場、さまざまな業者にケータイをかけまくり彼女はようやく、バレエ教室を開くことができるようになった。
 それには彼女のことを見守ってくれたバレエ団の仲間やバレエ団の団長、母の恩義がなくては完成することはできなかった。
 
 うら若き彼女ひとりでなしとげるには多くのひとびとの支えなくしてはできなかったのだ。

 彼女はやがて年をとった。時は早くながれたようだ。しかし、彼女の顔は全く変わっていないと近所で大騒ぎになっていた。
 ある日、彼女はがんで病院へ入院した。脳に悪性の腫瘍があり肺にまで転移していた。看護師がコップに入った水を受け取った時、彼女は静かに息をひきとった。
 その病室の窓からは月あかりが差し込んでおり、彼女をてらしていた。
その朝、バレエ団の扉をたたく音がきこえてきた。