教育哲学の広がり 『教育哲学ノート』より

 私はフッサール現象学の考え方をユング心理学のなかに応用していきたいと考えている。そして、フッサールの師であるブレンターノの『道徳認識の源泉について』から心理学、倫理学、精神医学の在り方を理性にもとづいて探求していきたい。理性にもとづく探求をおこなうためには、カントの『純粋理性批判』およびヘーゲルの『精神の現象学』を誠実にひもといていかなくてはならない。また、フッサール現象学から大きな影響を受けたマックス・シェーラーの存在も見逃すことはできない。マックス・シェーラーの思索にはカントの理性における考え方に多大な影響を受けながらも、その立場はキリスト教精神に立脚している。

 そして、ハイデガーの『有と時』においても心理学、倫理学、精神医学について考察することができるが、肌理細やかさからいうとカントやフッサールにおとることがなきにしもあらずなので私はとまどいをかくすことができない。しかし、用語が「道具」や「廻り世界」などダイレクトな表現であるので読み手が思索をすすめていく上では<最高善>の書物だと思われる。

 おこさまからおとしよりまでの教育哲学を考察しようとした場合、精神の発達を理性にもとづいて考察するのであれば、ヘーゲルの『精神の現象学』やユング心理学やロジャーズの理論が善いと思われる。

 しかし、ヘーゲルの思索もユング心理学もロジャーズの理論も<噛み砕きにくさ>は払拭することはできず、また文章表現や3つの理論の専門家のあざやかなネットワークがいまだにできていないので、アメーバのようにつながっていき、教育哲学が<深く広く>伝承していくことを願ってやまない。