物語と時間 『教育哲学ノート』より

 ハイデガーの『有と時』をお伽噺として、ひもとくことにしていきたい。ミヒャエル・エンデさんの『はてしない物語』は西田哲学の第一人者であり、教育哲学として西田哲学や京都学派の思索をクロスオーヴァーさせて独自の思索を転回している上田閑照先生の奥様の上田真而子先生が翻訳しておられる。もともとミヒャエル・エンデさんの本は私自身、中学時代から親しんできた。特に『モモ』は何度も繰り返し読み、読書感想画を描いた。

 『モモ』は時間泥棒の存在と時の流れをつかさどるかめさんが登場してくる。私はいつかクラシック・バレエかあるいは京都の劇団ケッペキにおいてミヒャエル・エンデの作品を戯曲化していきたいと考えている。

 また、ミヒャエル・エンデさんのお父さんは画家であり人間の深層心理を描いたような素晴らしい絵を描いていた。一見するとダーティなイメージがあるが、そこから想起されるイデアは個人の魂の内面を映し出す鏡のようである。なぜならば、ミヒャエル・エンデのお父さん自身深い思考の持ち主で絵を描く前には必ずベッドかソファによこたわり、「自己の深み」を誠実に見つめていたそうである。いずれは、ミヒャエル・エンデさんの著作のお話会を京都、沼津、東京でおこなって古東哲明先生のようにわかりやすく<存在の神秘>について私なりの語り口でぽつり、ぽつりと語りたい。