教育哲学ショートショート 「ぶどうジュース」

 K氏はぶどうジュースを飲んでいた。K氏の日課は会社での早朝の英語勉強会に参加することだった。しかし、K氏は英語が嫌いだった。教育学を学び大学院で修士課程まで進んだにも関わらず、自他ともに認める“英語嫌い”であった。
 K氏の勤務している会社では本屋のマネジメントをおこなっていた。この本がすくなくなった時代にいかにして本を売るか、この命題につき進むよりもむしろおもしろい本を出版することに力をそそいでいる不思議な会社であった。
 午後になるとK氏はお茶を飲みながらミドリと話していた。
「ぼくはお酒を飲むことができない」
「そんなことたいしたことじゃないわ。そんな人はいくらでもいるわ」
「いや上司のMにお酒を飲む会合によく誘われるんだ」
つぼみがちな眼でK氏はミドリを見つめながら言った。
「ぶどうジュースやジンジャーエールなら飲めるでしょう」
「まあ、でもそれじゃあ、仕方ないさ」
「お酒もお金も天からふってこないんだから人それぞれ好みの問題よ」
「そうかぁ」
 K氏は家に帰ってぼたもちを食べた。あのあとミドリとラーメン屋でラーメンとチャーハンを食べてミドリから実家から送られて来たぼたもちをあまりあまって仕方がないから、と言われたのでK氏はことわることもできずに受け取ってしまった。しかし、思いのほか美味しいぼたもちだったので驚いてしまった。
 K氏はアパートでぼたもちを食べ終わると小説を机にむかって書きはじめた。K氏は本屋のマネジメントをする出版会社に勤めながらも自分でも小説を書いていたのだ。K氏の叔父はいつも、
「小説家は食べられない」
と言っていたのでK氏は現在の会社に勤める時に
「食べながら小説を書きます」
と言って小説家になったのだった。K氏の書くほとんどの小説は宇宙を舞台にしたもので、世間ではSFとよばれていた。
『宇宙という場所は地球とちがって未確認の生物がいないともかぎらない。実家から送られてきたさつまいもをこっそりとロケットにもちこんだロシア人と日本人の宇宙飛行士はトランプでポーカーをしてあそんでいた・・・・・・』
というような書きだしで新しい小説は書かれていた。K氏は書きながら笑い。笑いながら書いた。
 K氏は叔父に対してエディプス・コンプレックスをかかえていた。すべてにおいてK氏は叔父と比較し、そして叔父の亡霊までつくりあげ、そしておびえているところがあった。お茶とコーヒーと紅茶を選ぶにも1時間も思案しているが叔父ならば、1秒とかからないだろうというようなつまらないことを考えていたので小説にまとめることにした。
 小説家になって叔父は時計とロルネット眼鏡をK氏にくれた。
「いいかい、時計の時間は常に正確ではないんだよ。ときにはゆっくりとした時間が人と人とのあいだで流れることもあるんだ」
と言い残したあと叔父は世界1周旅行の旅に出発した。
 K氏は小説を書く行為の責任の重さから逃げる時、いつも街の図書館へいく。それがK氏の日常生活のルールだった。K氏は根っからの自由主義者なのだ。断じて共産主義ではない。図書館ではいつも哲学コーナーやおこさまの絵本コーナーへ行くことが常だった。ときどき友人のR氏が上司のM氏のいいつけで法律に関する本を借りるためにK氏とともに図書館へと行ったがK氏は無目的に等しかったのでR氏はいつもあきれて
「おまえはほんとうにおとなげないやつだな」
と会うたびに言っていた。帰りにいつもふたりはミドリの話をしながら映画を観てR氏の家でボードゲームをして愉しんだ。ミドリの存在はどこかマドンナ的でありながらも神秘的であったのでK氏はとても小説のモデルとして書くことはできなかった。不思議な会社員たちはこれまた不思議な共同体をつくっていたのだった。