教育哲学ショートショート 「りんごの樹」

ミヤハラ氏はバレエに興味があり、バレエの人体の動きをスケッチする仕事をしていた。絵画のような美しさを持ったミヤハラ氏のスケッチは学校に貼られるようになった。黒板ばかり見ていた学校の生徒たちは休み時間にそのスケッチを見つめるようになった。
 そのうちに生徒たちのなかでバレエをやる子どもたちがひとり、ふたりと増えていった。ピアノを弾くことが大好きなトシコ先生や、美術で白い石をがつん、がつんと彫っていたハヤカワ先生も学校が終わったアフターファイブにバレエ教室に通うようになった。
 机の中にいつしかチョークの粉とともにバレエシューズをひそませる者もいた。ピアノを弾くトシコ先生は授業の時間にショパンやバッハを弾くことが多い。その音楽はバッハであっても抒情性に充ちていた。ハヤカワ先生は完全なる人間性を追い求める教師であったので教官室にはバレエの理論書が画集とともに置かれるようになった。
 トシコ先生は大学院時代に発達心理学とからめた音楽理論について研究をしていた。ピアノの音の波長を分析して人間の心にどのような影響をあたえるのか調査するのである。しかし、チンパンジーと1日つれそっている夫と1日中ピアノと向き合っている自分について考えてみると毎日の生活に疑問を感じずにはいられなかった。
「私は研究者として向いていないのではないか」
と思う時もなかったと言えばうそだった。
 夫は実はミヤハラ氏でありチンパンジーを1日中見つめる毎日を送っていたところ
「人間の心はチンパンジーでわかるのか、それ以前にオレは別のアプローチをしたほうが善いのではないか」
と思うようになり、舞踊家をスケッチするようになった。さいわい、チンパンジーについては世界で類を見ない知見を持ち合わせていていたので骨格から筋肉まで実に細やかなスケッチを描くことができた。
 ミヤハラ氏の家には宗教画が掛っていた。それは『受胎告知』を描いたものだった。天使がひらひらと翼にのって飛翔していた。その絵画がミヤハラ氏の芸術的な情緒を支えていた。その絵画は妻のトシコ先生が孫から子へと受け継がれてきた宗教画であった。
 ハヤカワ先生は学校の教師をやりながら劇団に所属していた。しかし、ハヤカワ氏は一度も役を演じたことはなく、脚本を書くことに情熱を注いでいた。特に外国からオペラの脚本を書いてくれ、と注文がはいったことがあったが、
「教育的なオペラならば」
とたったひとこと注文を逆につきかえしたこともあった。
 学校にはりんごの樹があり、その樹には「万有引力の樹」という立て板が汚い字で書かれていた。
 葉が茂っていた。