『まわる神話構想ノート』より

私は深夜になると古典ギリシア語、ドイツ語を独学している。はたして正しいのかはわからない。昼間は神話を書くために街を歩いて他者の<声>を聴いている。その<声>が<書く>という行為の源泉になっているのかもしれない。自己を≪禅の世界≫へと落とし込んでもクラシック・バレエにおける自分自身の身体の意味を見つけることができない。
 私の書かれた小説は無意識が源泉になっている。他者の像を自己の像とすることはクラシック・バレエやピアノの稽古においても大切なことだと思われる。
 ものを書くときは様々な本から言葉をかき集め、それらを再構成して書いている。<言葉を選ぶ行為>そのものが、私の無意識の行為なのでこの方法でこつこつと書いていけば真理の道のあいだにある対人関係の苦手意識が緩和されるのではないか。
 中学、高校時代の友人は私の自我の形成に大きな影響をあたえた。中学時代にいた友人はクラシック・バレエをやっていた。その子は背が高くて机に座った時、脚をまっすぐ伸ばして座っていたことが、今でも印象に残っている。
 クラシック・バレエに関わったり音楽と関わったりすることができたということは神からの暗号文でどこからかのシステムどおりなのかもしれない。