『まわる神話構想ノート』より

 私は複雑な本の著者に<乗り移って>文章を書いている。そして本の読み方は書き込みをしながら何度も繰り返し読むことにしている。ひとつの本を何度も読むと別の本を読んだ時に視点がもうすでにあたえられている。書くことは苦悩をともなう。いつこの<書く力>がなくなってしまいやしないかと恐ろしくて仕方がない。
 夜のあいだを埋めるようにして私は書くことで自律しているのだ。もしや時間という考え方をもっていないのかもしれない。私は時計の時間をみたとしてもそれが本当の時間だとはおもえないのである。
 時に人間が関わるから「時間」なのであろうか。私が生まれた時はたしかに「おぎゃー」と誕生宣言をしたはずである。しかし、私自身が<生きている時間>ははたして≪生きられる時間≫なのかあるいは≪生かされる時間≫なのか、私は大人になるにつれてかんがえていった。