教育哲学ショートショート 「水色の手袋」

 ヒノダ氏は音楽家でジャズのピアノを弾いていた。ヒノダ氏の音楽には「海」を想起させるものがあった。それはきっとヒノダ氏が幼いころ海辺の家で遊んでいたことがあったためだろう。
 ある日、ヒノダ氏は樹にもたれかけながら遠くはなれた恋人のマシコさんに思いをよせていた。マシコさんとは戦争で別れてしまったヒノダ氏の奥さんである。ジャズの曲を作曲するときにはいつもマシコさんのことをおもって作曲をしていた。
 また、ヒノダ氏は神父をしていたのでオルガン用のミサ曲も作曲することがあった。オルガン用のミサ曲はたいてい深夜に作曲していてヒノダ氏は「神との対話」と位置づけていた。その作曲はバッハの対位法をもとにつくられたクラシカルなもので、精神性の高い曲だった。ミサ曲を作曲する時はまだ日がのぼるのかのぼらないのかわからない早朝の時刻におこなっていた。
 ヒノダ氏がミサ曲を作曲していた時、家の戸をたたく音がした。
「こんな朝はやくにいったいだれだろう」
と首をひねりながら戸をあけるとそこには一匹のキツネが存在した。
「手袋をください。寒くてどうしようもないんです」
外は雪でおおわれていた。
「ちょっとまっててね」
ヒノダ氏は奥まった戸棚から水色の手袋をとってきてキツネにあげた。
「どうもありがとうございます」
キツネは頬をゆるませて降りしきる雪の中を帰って行った。
 あくる日、悲しいことにマシコさんが床にふしたことをしらせる葉書きがヒノダ氏の手許にやってきた。不治の病だった。行くことができないもどかしさをヒノダ氏は早朝のミサ曲の作曲に思いをこめた≪なんということだ、ああなんということだろう≫さびしさとどうしようもないくやしさがヒノダ氏をおそってきた。深夜になるとまた戸をこんこんとたたく者がいた。
「どうぞ」
と静かな声でヒノダ氏が呼ぶとそこにはまたあの時のキツネが立っており、キツネの両手には水色の手袋と1本の万年筆がにぎられていた。
「あのときはどうもありがとうございました。お礼にこれをうけとってください」
ヒノダ氏はペンを受け取った。
 百年後、ヒノダ氏は身体も精神も健康なまま机に向かって作曲活動をすることができた。