ノートパソコン持つことクラシックバレエを行うことの所有権

ジョン・ロックの『統治論』第五章 所有権 によると
 25 人間はひとたびうまれれば、自分を保全する権利をもつこと、したがって肉や飲み物さらには自然が人間の生存のために与えてくれるその他のためのものに対する権利をもつということをわれわれにおしえている、自然の法として働く理性についてかんがえてみよう。あるいはまた、神がアダムとノアとその子孫に与えた世界という贈り物について、われわれに説明している啓示について考えてみよう。いづれの場合にもきわめてあきらかなことはダビデ王は「地を人の子にあたえたまえり」(『詩編』第165章第16節)といっているようにそれを共有物として人類にあたえたのである。しかしこう仮定してみるとどのようにしてある人間がある物の所有権をもつようになったということは、きわめて難問であるとみる人もあろう。このような設問に対して、つぎのように答えるだけで私は満足したくない。すなわち、神がアダムとその子孫に世界を共有物として与えるから、神がアダムとその代々の後継者だけに世界を与え、それ以外のアダムの子孫はすべて除外したという仮定に立ち、したがって世界中の支配するただ一人の君主以外はだれも所有権をもつにいたったかを明らかにするようにつとめたいとおもう。
26 神は人々に世界を共有物として与えたが、同時に、生活上それを最も有利に利用するための理性と、さらには便宜をもあたえた。大地とそこにあるすべてのものは、その生存を維持し快適にするために人々に与えられたものである。そして大地が自然に生み出す果実や大地が養う動物はすべて、自然のおのづからなる手によって生み出されたものであるから、共有物として人類に属する。そしてそれらがこのようにしぜんの状態ある間は、他人を排除してそれらのうちの私的に支配することは本来、だれにも許されてはいない。しかしそれらは人々が利用するために与えられたものなのだから、それらが何に利用される前に、あるいはいやしくも、だれか特定の人々にとって、有益なものとなるまえに、何らかの方法でそれらを占有する手段がもちいられなければならない。未開のインディアンは囲い込みを知らず、いまだに共有地の租借人であるが、彼を養う果実とか鹿の肉は、まずそれが彼のもの、すなわち第一部となってはじめて、彼の生命を維持するためにいくらか役立つことができるようになるのである。

 考察
私は小説執筆のためにノートパソコンをつかっているこれは妹に所有権が存在するがジョン・ロックが言うには「人間がある物の所有権」を持つようになったのはきわめて難問であると指摘しているように<有る物>が誰のものであるかは容易に決定することはできないのである。そして「神は人々に世界を共有物とあたえたがが、同時に、生活上それを有効に利用するための理性と、便宜をもあたえた」と言っている。このことはすべての果実は未開のインディアンにとっても食べることができる所有を持つことができるのであり、このノートパソコンを持つ権利も兄貴にあると妥当する。
 また、病気療養中であってもクラシック・バレエは継続することができる運動療法認知行動療法にもなりうるので私が5月に帰還するまでのあいだ沼津でクラシック・バレエを週2日間おこなう権利は阻害されることはジョン・ロックの文脈上よみとることはできないので妥当だとおもわれる。