ものを書くようになったことについて

 くすりとのつきあいは世間とのあいだをかんがえなくてはならない。くすりばかりに依存してしまうと人生はもろくずになってしまうためだ。私は投薬治療をうけているが、元気に創作活動をおこなうことができる。できることからはじめればそれなりに世間に通用することになる。しかし、世間とはなにかそのあいだとは何かととわれると口ごもらずにはいられなくなる。私は人間関係についてかんがえるようになったのは「ものを書く」ようになってからである。
 なぜならば、ものを書くと自覚という自分を客観的にみつめなければならない作業が必要になってくる。そうするとわるいところが眼の前にあらわれてくる。このことはいたしかたがなく、自ずからどうなることでもない。しかし、書くことによって生命についての洞察や見えないものへの畏怖というものがうまれてくる。
 そのことが魂への考察へと私を導いていった。ラカンの本には魂について洞察することは≪妄想≫であるとかかれてあるが、私はその考え方に反旗をひるがえしていきたい。