文学と魂

中学時代の友人はみな東京の大学へいってしまった。それぞれの道をあるいているのだろう。私は沼津で夏まで執筆活動と読書に専念することにした。村上春樹文学や太宰治文学にみられる≪倍音声明≫は夏目漱石の文学にもみられると私は考えている。現象学とみっせつに<読書という行為>はつながっていて≪憑依≫していくものだ、と先生からおそわったことがある。
 
 今をいきることはかんたんなようでむづかしい。ここに集中していることはごくわずかな時間なためだ。独特な思考回路は読書をしているときにも<開かれている>ようにおもえてならない。

 ロシアの叡智とギリシアの叡智をクロスさせて「魂について」考察していきたい。