教育哲学ショートショート 「マックス・シェーラーの責任」

 哲学者のマックス・シェーラーは友人のユダヤ人ハンス・ヨナスとお茶を飲んでいた。宗教と倫理についての対話をしていた。
マックス・シェーラーは言った
「倫理の限界は宗教の考え方から考察するべきなのでしょうか?」
その問いにハンス・ヨナスは答えた。
「いや哲学の分野から考察すべきだと思います。宗教は細分化されて話し合いがとても難しい。イスラム教、仏教、キリスト教と考え方が分かれると思いますが、哲学の場合はわけへだてなくプリミティヴに考えられます。しかし、哲学も宗教の影響を多大に受けていますから、調和することがとても大切だと思います」
またマックス・シェーラーはハンス・ヨナスに答えた。
「そうですね。宮沢賢治も世界全体が幸福にならないうちは個人も幸福はありえないと言っていますからね。幸福については宗教や哲学をどのような場所で活かしていくべきか、それが重要だと思います」
ハンス・ヨナスは身の上話をしはじめた。
「私は農業をしました。最近は歩いています。うつ病になってしまったので、本屋さんや図書館を巡礼しています。そこで、国家共同体の責任について考えています。ユダヤ教新約聖書よりも旧約聖書の読解と解釈を日常の暮らしに根付かせてきましたが、インターネットがアメーバのように普及している現代では、旧約聖書の読解だけでは責任について考えることが難しくなってきましたので、新約聖書プラトンの『国家』や様々な哲学書を実践倫理学として責任の考察をしています」
マックス・シェーラーは
「私は小説から責任の考察をしています。トルストイドストエフスキーですね。ときどき、クラシック・バレエをやっていてしくじったときに責任について深く考えさせられます。おそらくしくじる理由はフランス語がまったく解らないので先生の指示がのみこめないためだと思います。私はドイツ語と古典ギリシア語と日本語しか解りません。英語が一番苦手です。フランス語は発音がわからないので、CDがないと正しい発音をおぼえることができません」
ハンス・ヨナスは身をのりだして言った。
「あなたは、ロシアに現実逃避の旅にいったことがありますね。ドストエフスキーの家とトルストイの家を訪れたようですが、どうでしたか?」
マックス・シェーラーはロシアの様子を語った。
ドストエフスキーの家は暗い家でした。ドストエフスキーの手書きの原稿を見ることができたので、本当に嬉しかったです。トルストイの家はトルストイの大家族の写真を見ることができたので教育における責任について私なりにかんがえさせられましたね」

 マックス・シェーラーはリック・サックからおもむろにルター版聖書をとりだした。『旧約聖書』と『新約聖書』を抱き合わせた聖書だったので分厚い書物だった。ハンス・ヨナスはヘブライ語の『旧約聖書』とギリシア語で書かれたプラトンの『国家』とアリストテレスの『ニコマコス倫理学』とヘブライ語ギリシア語で書かれた『新約聖書』をおおきなジェラルミンのアタッシュケースからとりだした。
 ハンス・ヨナスの書物には原型をとどめないほどの膨大な書き込みがなされており、どの書物もぼろぼろになっていた。

ハンス・ヨナスは言った
「私は宗教という考え方はあまり好きではありません。こう言うとキリスト教信者に石をなげられてしまうかもしれませんが、聖書解釈を緻密に読み解くことによって責任の原理について考えています。プラトンの作品については『国家』と『プロタゴラス』を源泉として教育の責任について考察しています。プラトンの哲学の場合は宗教の交わりからは一味ちがったものなので、やわらかく、しかし、ダイレクトに考察することができます」
マックス・シェーラーはハンス・ヨナスに対してこう言った。
「私はものぐさなのでハンス・ヨナスさんのように精読したりしません。寝たいときに寝て、起きたいときに起きて、りんごを食べます。また、パンも食べます。餃子も食べます。考えるときはものを書くときだけなので、家族に迫害されています」

 マックス・シェーラーは財布から机の写真を取り出した。理性に命ずるままに生きているにもかかわらず、おどろくほどきたない机だった。本が二段がさねで高くそびえたっていた。妻と子が怒鳴っている瞬間をおさめた写真だった。
ハンス・ヨナスは笑いながらたしなめた
「私も似たような机なので心配しなくても善いと思います」
マックス・シェーラーは怪訝そうに眉をひそめた
「そうでしょうか?私は家族からも、もう本を買ってはならぬと言われ続けています。神の言葉なのでしょうか?」
ハンス・ヨナスは深刻な顔をして
「それは私にもわかりません。私は割礼も洗礼も受けていません。ただ聖書を読んでいるだけなのですから。でも、誠実に読んでいます」
マックス・シェーラーはハンスヨナスに宗教的な問いを発した。
「心と魂は別のものなのでしょうか?」
ハンス・ヨナスは誠実に答えて
「口にあるから心にあるからといって魂があるとは限らないですが、やはりなにごとも誠実に法を守り、やるべきことをやることによって魂はどんどんひきあがってくると思います」
そして
「割礼は肉体にだけおこなわれるとはかぎりません。心に割礼をすることが大切だと思います。そうすることによって理性に命じて判断することができるのではないでしょうか?神が心に割礼することによって人間は正しい、清い判断をすることができるのではないでしょうか?」
ハンス・ヨナスは神父のようにマックス・シェーラーにとうとうと語った。その時、一匹の犬がとことこやってきた。
「タナカミチタロー、タナカミチタロー」
マックス・シェーラーがよぶと
アガペー(愛)、アガペー(愛)」
と鳴きながらやってきた。
ハンス・ヨナスは眼を丸くした。
「この犬はアッティカ地方のコイネーのギリシア語を吠えるのですか」
マックス・シェーラーは微笑みながら
「そうなんですよ、ソクラテスが生きていた時代の犬をタイムマシンでつれてきたのですよ」
するとハンス・ヨナスは眉をひそめ
「責任は、責任は誰にかせられるのですか」
マックス・シェーラーは毅然とした態度で
「私です。しっかりとソクラテスに契約を結びました。ガラリアにもいきましたので、イエス・キリストにも契約を結びました。これがそのコピーです。あそこのコンビニエンスストアでコピーしてきました。トイレに貼っておくといいかもしれません。私もトイレに貼っています」
マックスシェーラーはうやうやしくハンス・ヨナスに契約書のコピーをわたした。
「ありがとうございます」