教育哲学ショートショート  「ふたりの舞踊家」

R子とG子はともにクラシック・バレエをやっていた冬の国から汽車でやってきたらしい。黒いオーバーを2人ともまとっていた。R子は右手に万年筆、左手に聖書を持って、揺れ動く汽車のなかに聖書に書き込みをしていた。R子とG子はともに姉妹であり、G子はもうこの世にいない亡霊であった。まだ、G子はR子のことが気がかりでいつもR子のそばをついて離れることはなかった。
「もーまたそんなことをして、信仰深いのもいい加減にしなさい」
この言葉はR子にしか聞こえない。バーレッスンからセンターレッスンにうつるあのもどかしさややりきれなさは何度味わっても気持ちのよいものではない。そのことはR子もG子も痛いほど知っている。
 汽車の目的地は春の国であるが外は粉雪がはらはらと舞っていた。ようやく着くと大きな広場が見えてきた。
「いくわよ」
「そうね、やっとここまで来たわね」
しんしんと舞い落ちる雪の中でふたりは汽車をおりた。汽車はそのあと夏の国へ目指して飛び立っていくように発車した。

 今日のレッスンはドンスコイというロシア人教師で「深層心理学ブラック・ジャック」と呼ばれており首からはロザリオをさげていた。ドンスコイはおこさまを集団心理学の智慧で首を横から縦に振らせることができたので、おこさまからはおそれられていた。ドンスコイのレッスンはすこしの動きの肌理のゆるみも見逃さないので音楽が鳴りおわったあとの動きの修正は目にも鮮やかなものだった。R子もG子もドンスコイのレッスンにはへとへとになっていた。
「ナターリア、おやゆびが!」
ボルボンスキー、膝が20°まがってます!」
「腕、腕・・・・・わっかがずれています!」
「脚よくみててカラカラね、カラカラというのは教会の鐘を象徴しているのですよ」
「踵、踵釘ずけ」
ドンスコイの指示は他者の身体感覚のなかにはいってくるのでわかりやすい。
「すごーいドンスコイ」
「馬鹿ねスターのヨハネス・ブライクを育成したんだもの教育にかけては一流よ。しかも現在でも舞台で舞っているわ」

 つぎの日白鳥の湖の舞台稽古がおこなわれた。コールド・バレエの指の動きが美しくきまっていく。ふたりは白鳥の湖を10回も舞ったことがあったが、どの回も満足のいくものではなかった。1回目はいい。初回だからでも問題なのは2、3回目緊張が身体にへばりついてしまう。5回目になると欲がでて自分で自分を縛ってしまうこともある。そう、段階をへて課題もまたメタモルフォーゼしていくのだ。

 春の国に来てから11回目の白鳥の湖。ふたりはコールド・バレエを舞った。観客の視線が主役でもないふたりの身体の全細胞に注がれていく。山場はこえた。

 舞台袖では陸上競技の800mを走りおえたばかりの光景がひろがっていた。
「やったね」とR子が言うと
「そうね、あなたも今日から私がいなくても大丈夫」
と言ってG子は足元からすーっときえていった。