大河小説 「医師と哲学者」 Ⅱ

 大谷氏は旅をしていてもショートショートや小説を書きながら思索を続けていた。一時期ドイツの哲学書の原書をひもといて精神科医になろうとしたが指導教官と<気>が合いすぎて医局をとびだしてしまった。精神科の医局では哲学者で有る必要はないためだ。大谷氏は
「自覚することができない」
と言って自らの作品について多くを語ろうとはしなかった。
「私の場合、小説を書いても小説にならないし、エッセイを書いてもエッセイにならないんですよ」
と微笑みながら編集者に言っていたことがある。
 大谷氏は沼津、鎌倉を旅行していた時が一番、魂の安らぎを感じており、京都では時の流れが速く流れるように感じた。大谷氏はほとんどひとり旅をすることが多く。旅先での出会いを大切にしていた。それでも筆まめな大谷氏はどこにいても中田氏と田丸先生に手紙を書くことは忘れなかった。そして、時には広島で国語の非常勤講師を頼まれたり、横浜のミッション・スクールで英語や倫理学の非常勤講師を頼まれたことがあった。洗礼を受けていないのに何故だろうと鞄をまさぐってみたらぼろぼろの聖書が出てきたので、
「これか、こいつのせいか」
と唸るほかなかった。
 大谷氏は横浜のあるホテルでウォトカに黒砂糖を溶かし丸く切った氷をカットグラスに浮かべてちびりちびりと飲んでいた。鞄からベルグソンの『精神のエネルギー』をとりだして本の余白に青インクの万年筆でメモを書きながら読んでいった。この本の翻訳者或る大学教授で徳の高い人物であることを大谷氏は実感していたのでこの思想を日常で活かしていかなくてはいけない、と責任を感じていた。
 そのあと、大谷氏は聖書にペンで書き込みをして太宰治の文章を読むことが好きだった。文体の響きのなかに魂が感じることができるので夏目漱石と同じくらい大谷氏は太宰治の文章が好きだった。
 倫理学の非常勤講師をやっていたとき
「今日は私の好きな思想家フッサールについて授業をすすめていきたいと思う。けど、先生はフッサールのことは、じつはあまりよく知らないんだ。だから今日はみんなに図書館に行ってフッサールさんの書いた本を選んでこよう。一冊だけだよ。これで今日の授業はおしまい。次回はその本を読んでレポートを書いてきて討論会をしましょう」
となんとも牧歌的な授業を展開していた。
(続く)