大河小説 医師と哲学者 Ⅲ

大谷氏は元来、「怠け者」だった。朝起きることができないのだ。その理由は毎日、夜にコーヒーを飲んでしまうためだ。そのほか大谷氏は人体解剖図を夜中に見る変な趣味があった。特に大谷氏は神経が細かったので神経系が細かく描かれた人体解剖図を見ることに時間をつかってしまうために、翌日の授業にででこない時や眠たそうな眼をこすりながらやってくることもあった。
 中田氏との文通のなかで
『オレは馬鹿者だ。カフェインは眼を閉じることをさまたげる効果があるのにそれを知っていてやってしまう。つまりオレは大馬鹿だ』
と書くこともあった。文通には時間をかけることが多く。旅先であってもホテルのそなえつけのメールセットで大谷氏自身の万年筆で返信することを忘れることはなかった。日記、小説、ショートショートと大谷氏は様々なジャンルの<書きもの>を書いているが、大谷氏自身はそれらをすべて「雑文」と言っていた。
 横浜の2カ月の非常勤がおわったあと、大谷氏は東京と長崎を重点的に教え巡るようにと、横浜のミッション・スクールの校長に辞令がでた。
「神からのミッションか」
大谷氏は聖母マリア像の前で微笑しながら「辞令」の字をみつめながらつぶやいた。
 東京は永く教員を勤めることになったので鎌倉に新居をかまえることにした。鎌倉は大谷氏にとってパラレル・ワールドだった。新居をかまえる前に宿屋へいったら、
「ここは文士さんでなければ泊まることはできません」
と女将が言ったので、大谷氏は万年筆をみせて
「どうだ、文士だろう」
と言ったところ
「いえ、貴方は物書きです」
とあしらわされてしまった。大谷氏は常識(common sense)をもっておらず、予約もしなかったことにも原因があった。万事が万事この調子で、田丸先生に文通でこのようなことを知らせると『ドイツ医学大辞典』を鎌倉の新居に送って来たので大谷氏はおどろいてしまった。
 東京の第三高等学校は優秀な生徒ばかりであるとミッション・スクールの校長は言っていたので大谷氏は大安心していたが、教室の戸をがらがらとあけるとそこには・・・・・・。
(つづく)