『まわる神話構想ノート』より

 私はいてもたってもいられないことがある。これはたぶん<気>のせいだとおもわれるが、私が<気>がかりになるかぎり、それは問題となる。無意識と前意識のあいだにそれは存在するだろう。私は書くことによって表現していきたい。私は言葉をしゃべるよりも書き言葉のほうがコミュニケーションをとることがしやすい。書いてあることはありきたりなことかもしれないが、あとではっとすることもある。

ものを書くようになったことについて

 くすりとのつきあいは世間とのあいだをかんがえなくてはならない。くすりばかりに依存してしまうと人生はもろくずになってしまうためだ。私は投薬治療をうけているが、元気に創作活動をおこなうことができる。できることからはじめればそれなりに世間に通用することになる。しかし、世間とはなにかそのあいだとは何かととわれると口ごもらずにはいられなくなる。私は人間関係についてかんがえるようになったのは「ものを書く」ようになってからである。
 なぜならば、ものを書くと自覚という自分を客観的にみつめなければならない作業が必要になってくる。そうするとわるいところが眼の前にあらわれてくる。このことはいたしかたがなく、自ずからどうなることでもない。しかし、書くことによって生命についての洞察や見えないものへの畏怖というものがうまれてくる。
 そのことが魂への考察へと私を導いていった。ラカンの本には魂について洞察することは≪妄想≫であるとかかれてあるが、私はその考え方に反旗をひるがえしていきたい。
 

小説の執筆と臨床哲学

私は臨床哲学を考察している。それは人と人との間柄をむずびつける学であり、おこさまからおとしよりまで浸透していくものである。精神医学と哲学をむすびつけていきたい。そのために東京の足立区にある親戚の家で小説の執筆に専念していくことにする。小説の執筆の題材はアドルノの『否定弁証法』と心理学の本による。

「医師と哲学者」

大谷氏はほとんど中田氏の事件を片付けたあとにミッション・スクールでふたたび英語の授業をおこなうことになった。大谷氏は洗礼をうけていないにもかかわらず、日曜日に教会に行って祈りをささげていた。そのうちミッション・スクールの生徒からは、
「ビショップ」
というあだ名でよばれるようになった。大谷氏は授業がおわると机に向かって寓話を書いていった。書いても、書いても大谷氏は納得のいく作品をかくことができなかったので毎日、筆をもてあましていた。こればかりは考えてどうするかの問題ではない。大谷氏は長編小説に挑むことにした。

物語りにひきこまれて

私は物語りの力によって小説をかいている。まねることはまなぶことだと恩師におしえてもらったことがあり、下宿で川端康成の『掌の小説』を懸命に書きうつしたことが現在のショートショートの力になっているのだとおもう。村上春樹文学もひきこまれる力がものすごくあるのでよむだけでいろいろなことや題材をひろいだし、またまなぶことができる。
 夏目漱石の文学に関してはチャネリングをおこなっており、魂の錬金術師的な存在なので善く読むとさまざまな発見がある。そのうち、紙にかいたものから打ち込みに移行していって長編傾向になると思われる。

『まわる神話構想ノート』より

 私はヘーゲルの『精神の現象学』を木村敏先生の『関係としての自己』を媒介にして文学をつくりあげていきたい。そして村上春樹文学を音読することによって≪Shoco Haida baion はいだしょうこさんの倍音≫によって≪倍音の文学≫としてよりいっそう口承伝承性をを高めていくことにする。
 そして、身体の形成知を高めていくために倒立と東京でのはいだしょうこさんのワークショップ(http://shoko-dream.com/)スケジュール(http://shoko-dream.com/timetable/)に体調が赦すかぎり参加することにする。このことは発達心理学を教育哲学や臨床哲学のなかで考えるうえで大きな波となるとおもわれる。

 そして無意識の鉱脈をさぐっていくために夏目漱石太宰治の文学を私なりにあれんじしていきたいとおもう。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(上)新装版 (新潮文庫)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(上)新装版 (新潮文庫)


世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(下)新装版 (新潮文庫)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(下)新装版 (新潮文庫)

 
 音読しています。≪倍音≫の効果がすごいような気がします。黙読しても≪しん・しん・しん≫と耳もとでささやくような≪倍音声明≫がきこえてきます。

1Q84 BOOK 2

1Q84 BOOK 2

 音読中、天吾の動向がきになります。

関係としての自己

関係としての自己

 人間関係学のえんちょうとしても読むことができる本です。村上春樹文学と結合して文学として
『医師と哲学者』や『クラシック・バレエへの道』、『京都学派シンフォニイ』として昇華していきたいです。

『まわる神話構想ノート』より

私は数学が苦手で理論的な考察もまた苦手である。それは<科学することが苦手>ということになる。それよりも私は小説を書き、<物語のなかの物語り>を書くことによって哲学のなかの形而上学について考察していきたい。それは人間関係学でもあり、哲学書や小説に書き込みをすることによって理解されるだろう。
 そして詩を書いていきたい。それは身体の形成に関するものであり、肉体的である。実存主義に根ざしたものでもあるだろう。『まわる神話構想ノート』は散文に近いかたちになってきた。私の存在理由は音楽を作曲するように書くという場所に根ざしている。それは英語の波のようなものに近いのかもしれない。