kabara

あなたは、従来の決まりごとや慣習などに捕われない「自由さ」と「冒険心」を養っていくための変化に富んだ波乱万丈の人生を歩んでいくことになるでしょう。
あなたは、好奇心旺盛で、人生で出会う様々なことに心を惹かれるほうでしょう。悪く言えばどんなことにでも首を突っ込みたがります。刺激的な出会い、旅行、恋愛などはあなたにとってはとても大切なイベント。恋愛でもいったん本当に火がつくと、ライバルがいようが反対されようが、また不倫などの道を違えた恋であっても全然障害に対して気に留めないでしょう。就職などや仕事に関しても「安定した職業」や「名のある企業」といった多くの人が望む条件はむしろ嫌うでしょう、それよりも刺激のあるいろんな人とであったり、いろんな所へ出かけられる仕事のほうが、魅力的に感じられるかもしれません。

そういった変化と刺激を求める本質はあなたが生まれ持った資質なのですが、運命はもっとその資質を後押しするため様々な出来事をあなたの人生に起していくでしょう。
誰もが将来有望だと思っていた会社に就職するとその会社が突然問題を起し倒産してしまう。旅行に出れば、魅力ある異性が接近してきてアバンチュールへと誘う。そんな予測が不可能なハプニングがあなたの身の上に次々と起こってくるでしょう。
それらはあなたに、もっと活発に挑戦しなさい、そして自由な精神を培いなさいという運命の呼びかけなのです。恐れずあなたの魂が引かれていくその体験に身を投じていくといいでしょう。あなたにとって「刺激と変化」は成長し学ぶための必要な要素なのです。
ただし、あまり快楽主義に走ってしまうと、何に対しても飽きっぽくなりうんざりとした毎日になるので注意しましょう。

あること

私は無意識の鉱脈を掘るために沼津に存在する。なかなか霊的な気づきをえることができないので困ってしまう。文体のリズムがクラシックになってきた。大学にもどることはあと半年の時間がかかるらしい。理性がありすぎてあまりにも人間的な文章しか書くことができない。それはありあまるほどのナンセンスさに充ちている。
 心理学と哲学については何通りもの答えがあるわけではないが、そこへむかう道は何通りも有るので困ってしまう。<書くこと>と<演じること>ことは一生付きまとう人間の行為である。

散文

 詩を書くことはむずかしいことだ。相手にむかって何かをうったえることでもあるので、何かを書くことで自らをさらけださなくてはならない。そして、ショートショートを書くこともまたそういう側面をもっている。沼津にかえってきてから長編小説を書くことができなくなってしまい、ぐちばかりの文章しか書くこができなくなってしまった。小説家を目指しているものの書くテーマが無い。有るとしたら「無」なのかもしれない。「無から有をうみだすいとなみ」がどのような過程をへていくのか、を考察していくことにしていきたい。

文学と魂

中学時代の友人はみな東京の大学へいってしまった。それぞれの道をあるいているのだろう。私は沼津で夏まで執筆活動と読書に専念することにした。村上春樹文学や太宰治文学にみられる≪倍音声明≫は夏目漱石の文学にもみられると私は考えている。現象学とみっせつに<読書という行為>はつながっていて≪憑依≫していくものだ、と先生からおそわったことがある。
 
 今をいきることはかんたんなようでむづかしい。ここに集中していることはごくわずかな時間なためだ。独特な思考回路は読書をしているときにも<開かれている>ようにおもえてならない。

 ロシアの叡智とギリシアの叡智をクロスさせて「魂について」考察していきたい。

ピアノ

 私はピアノをならうことになった。ヴァイオリンは家族にみつからないところにしまわれてしまった。さがせばまた弾けるとおもわれる。『平均律クラヴィーア』をひくことを目的にしているので無謀としかいいようがないようにも思われるが、22歳の手習いといして一歩、一歩着実にがんばっていきたい。
 最近、小説をかくことができなくてこまっている。京都にいたときはあふれるばかりに書くことができたが、沼津にもどってからは原稿用紙10枚書くことができない。文体もみじかくなっている。よく「話は短いほどいい」といわれるが、小説や評論などはどうなのであろうか。

『まわる神話構想ノート』より

 私は世界観をかたちづくる文学をかいていきたいと思う。それは『医師と哲学者』であり、『クラシック・バレエへの道』でもあり、『京都学派シンフォニイ』でもある。「物語り」に引っ張られるようにしてかきつづけていきたい。

教育哲学ショートショート 「ふしぎな小説」

 マイナク氏は理性について考えていた。マイナク氏の左のポケットには拳銃があった。
「どうしよう」
とつぶやいて、マイナク氏は酒場でジン・トニックを飲むことにした。これからのことをなにもきめていないのだ。不安が強くマイナク氏をむしばんだ。右手をポケットに入れてマイナク氏は本と紙にむかって小説を書き出しはじめた。
 紙は原稿用紙とプリンターの用紙だった。となりに座っていた男が、
「君は小説家かい」
とたづねた。
「いいえ、学校で英語の教師をやっているんです。もうすぐ東京へいくんです。小説家だったらいいんですけど、なれないんですよ」
「じつはね私は小説家なんだ」
「そうなんですか、こればかりはみためで判断することができませんものね」
 マイナク氏は長編小説を書きたかったのでその男に長編小説の書きかたをおそわるまで対話した。
「夢をつむぎだすようにして小説を書いてごらん」
その男の結論はシンプルなものだった。
 マイナク氏は夢をみた。その夢をもとに小説をかいていった。長い長い小説だった。マイナク氏が自覚したことは
「長編小説よりもむしろ短編小説をかくこのほうが難しい」
ということだった。
 マイナク氏はその小説をある男によんでもらったところおなじ内容の小説を書いたことがあると、おどろいていた。